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〔山田秀三文庫の資料から〕

美深町・恩根内付近の「テ」の地形

(資料番号:YF0052)

(↑写真1)
(↑写真2)


 アイヌの伝統的な漁具に、木や柴で川を横切る垣のようなものを造って魚を獲る、「テ」と呼ばれるものがあります。その「テ」のように、川を横切っている岩礁や、それに近いような川底の岩盤のあるところに、「テ」に由来する地名が付くことがあります。

  『センターだより』第25号(2006年9月)及びこのホームページでも以前にトップページで紹介した(http://ainu-center.hm.pref.hokkaido.lg.jp/index_phoNo25.htm)「弟子屈(てしかが)」も、その例です。

 北海道の北部を流れる「天塩(てしお)川」も、川筋に「テ」の地形があったことによるとされており、松浦武四郎は、美深町恩根内付近の「テッシ」が由来の場所だと書いています。

 今回紹介するのは、山田秀三氏がこの「テッシ」に関心を持ち、1978(昭和53)年7月に現地を調査したときの記録の一部です。

 写真①は、1898(明治31)年の地形図に「テッシ」と記されている場所で、山田氏は写真の上に地形のようすを描いたスケッチを添えて写真の情報を補っています。写真②は、それよりやや下流(北側)にある、同じ地形図に「カマテシカ」と記されている場所です。

  これらの土地を調査したときのようすについて、山田氏は、著書『北海道の地名』(北海道新聞社、1984年)で、次のように書いています。

テッシ/カマテ
 〔前略〕美深市街の方からなら約8キロ北行した処に、明治31年5万分図にはテッシと書いてある。天塩日誌が天塩の名の発祥地と書いたテッシらしい。行って見ると天塩川の古川(近年河道を直線に直して古川となった)が大きく曲がって国道のそばまで出ている辺であった。岩は見えない。土地の人らしい老人が道路工事をしていたので、ここかと思う辺を指して、岩がなかったかと聞いたら、「あすこは岩磐が川を横切っていて、ずっと浅い。渇水季になると、瀬はきつかったが、じゃぶじゃぶ歩いて向こう岸まで行けましたよ」という。念のため,音威子府の同好高橋基氏に現場調査を話した処、調べられて、その通りだったと語られた。川浚いされる前は岩がテシ(梁)のように出ていたからの名であろう。老人と一緒に働いていた青年が、ここと同じような処が恩根大橋の処にもありますよというので行って見た。
 明治31年図にカマテシカと書かれた処だった。kama-tesh-ka「平たい岩の・梁の・上(あるいは岸か)」の意。橋から眺めると、すぐ上の処で、ここでは岩磐が川を横切っている姿がはっきり見られる。こんな形の岩が処々の川の中にあったので天塩の名が生まれたのであろう。
山田秀三『北海道の地名』(北海道新聞社、1984年)より

『センターだより』35号をご覧になる場合は、こちらへ

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