レファレンス   サイトマップ   リンク


HOME > トップページ掲載写真の紹介(最新+バックナンバーもくじ) > 昭和の初めごろの録音機材


トップページ掲載写真のバックナンバー


〔久保寺逸彦文庫の資料から〕

昭和の初めごろの録音機材



―――正解は、録音用のマイクロフォンです。昭和初期に放送局でも用いられた、ライツ型と呼ばれるタイプのものです。
 写真②のちょうど真ん中、スタンドの上に、このマイクロフォンがあるのが見えます。

写真①

写真②



 写真②は、アイヌ語研究者である故・久保寺逸彦氏が、1935(昭和10)年に、旭川で口承文芸などを採録しているようすを写したものです。
 右端が久保寺氏。当時まだ32、3歳の新進気鋭の頃です。その左隣、少し身を乗り出しているのが、久保寺氏の師でもあった金田一京助氏。また、左端の男性は川村カ子ト氏、4人の女性は右から川村ムイサシマッ氏・鹿田シムカニ氏らで、いずれもこの地域の伝承者として知られた人々です。

 久保寺氏は1934(昭和9)年から日本学術振興会の助成を受け、北海道や樺太(サハリン)の各地でアイヌ語を録音してまわっていました。写真②はその調査の一コマで、当研究センター所蔵の久保寺逸彦文庫の写真資料として整理し、公開しています(資料番号KP1103-010)。

 写真②で、久保寺氏の前に置かれている大きな箱が、レコード盤の録音機です。
 このときの調査で録音されたレコード盤は、1977(昭和52)年に氏のご遺族のご厚意により北海道立図書館に寄贈され、2009(平成21)年には当研究センターに移管し、久保寺逸彦文庫資料として一括保管しています(この概要については前号の「たより」で紹介しました)。

 このほど、写真①のマイクなど、当時の久保寺氏が用いた録音・撮影機材が、ご遺族より当研究センターに寄贈されました。
 残念ながら、録音機本体はもう遺されていませんでしたが、写真①のマイクロフォンのほか、録音機に接続して用いたと思われるアンプ、写真撮影に用いられたガラス乾板写真機や三脚、16㎜フィルムの撮影機材などが、新しく久保寺逸彦文庫に加わります。

 これまでの久保寺逸彦文庫には、録音・録画・撮影されたレコードやフィルムや写真、それらを久保寺氏が聞き起こすなどして筆記していったノート類、さらにはそれらを著作へとまとめていく過程でのノート等々がありました。
 そこへ記録に用いた機材等が新たに加わったので、久保寺逸彦という、アイヌ語研究に大きな功績を遺した研究者による調査・記録・整理・考察の過程を示す資料が、ひととおりそろったことになります。
 あらためて、アイヌ文化やその研究のための大事な財産を托されていることを噛みしめながら、引き続き、資料の整理・保存と公開に向けて取り組んでいきたいと思います。

 

『センターだより』40号をご覧になる場合は、こちらへ

注意:このホームページに掲載されている一切の記事、写真及び画像の無断転載を禁じます。
    また、このホームページにリンクを設定する場合は、事前に研究センターにご連絡ください。
Copyright 2001-All Rights Reserved by the Hokkaido Ainu Culture Research Center.