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〔山田秀三文庫の資料から〕
弟子屈(てしかが)市街を流れる釧路川
(資料番号YF0147/1960年撮影)
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当時の国道(現在の弟子屈橋)から上流向きに写す。
山田秀三氏が釧路から阿寒、弟子屈などをへて網走へと調査した時の記録より。
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「弟子屈市街は釧路川最上流の賑やかな処で、屈斜路湖や摩周湖を訪れる人の必ず立ち寄る街。
また弟子屈町は釧路川源流一帯の土地で、町内のどこを歩いても風光が素晴らしい。日本最高の自然の中の町だろうか。
弟子屈はテシ・カ・カ(tesh-ka-ka)。
テシは元来は網み連ねたもの、
ふつうは魚を捕るための梁(やな)であるが、地名に残っているテ
シの多くは、岩磐が川を横断して梁のような姿をしている処である。
弟子屈の場合も岩磐がここで釧路川を横切っているので、そのことであろう。
次にカ(ka 上、崖)が二つ続いていて、実は読みにくい。知里博士小辞典はそれを「ヤナの・岸の・上」と訳された。
カは軽い意味で添えられることがあって、例えばヌプ
ッカといってもヌプ
(野)と事実上は同じことであった。この場合もテ
シカでそういった岩磐の処を意味するようになっていて、
その岸ということをいうために、もう一つカをつけたのでもあったろうか。」
(山田秀三『北海道の地名』草風館、2000年) |
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