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〔山田秀三文庫の資料から〕
浦河町の「チノミシリ」
(資料番号YF0440/1979年撮影)
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上は、日赤病院(写真中央の大きな建物)を望む山上から東向きに写したもの。
その向こう、独立丘に見えるところが「チノミシリ」。
下は麓の国道から写したもの。写真上部の文字は山田秀三氏による。
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「チ・ノミ・シリ (chi-nomi-shir 我ら・礼拝する・山)の意。
諸地で、山や断崖の処が神の居所としてこの名で呼ばれ、崇敬されている場合が多いが、
従来浦河のこの辺を通ってもそれらしい地形が見当たらないので変だと思っていた。
〔中略〕古老浦川タレ媼に聞いたら、乳呑川(ちのみがわ)の東岸の山が海に突き出している処だった(国道235号線を通すため、
その尾根の根もとが切通しになって、独立丘の形になっている)。
ここでパセ・オンカミ(重い・礼拝)をする時は、元浦川の荻伏(おぎふし)から様似(さまに)までのコタンの長老が丘上に集まり、
めいめいのイナゥ(木幣)を立ててお祭りをした処だという。この場合のチノミシリは、礼拝の対象になる山ではなく、
「礼拝の場所であった」山なのであった。」(山田秀三『北海道の地名』草風館、2000年)」
(山田秀三『北海道の地名』草風館、2000年) |
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