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〔山田秀三文庫の資料から〕
青森県津軽半島外ケ浜町の「宇田(うだ)」と
北海道檜山地方の「歌」
(資料番号「資料名」:YF0092「津軽半島記」、YF0042「江差・松前三六」)
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写真①は、山田秀三氏による津軽半島の地名調査の記録ファイル中、
平舘(たいらだて)灯台の北にある「宇田」(現在の外ヶ浜町石崎付近)の写真を貼付したページ。写真の下のメモ書きは山田氏によるもの。
写真②は、江差・松前付近の地名調査の記録ファイル中、乙部町の海岸沿いを手描きした地図。「中歌」「向歌」など「歌」の付く地名がチェックされている。
写真③は、この地図に記された「歌」の付く地名のうち「中歌」の写真。
いずれも1961(昭和36)年の記録である。
山田氏は、この「宇田」と「歌」が、いずれもアイヌ語のオタ(砂、砂浜)に由来するものだと考え、地図を広げて同じような名の地名を抜き出し、
現地を廻って土地のようすを確かめていった。
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宇田(うだ)
平舘(たいらだて)灯台を過ぎ、弥蔵釜(やぞうかま)、頃々(ころころ)川を渡ると宇田である。
〔中略〕「うだ」は、西の方に行くと低湿地のことらしいが、此の辺の海岸地帯にあったら、先ずはアイヌ語のオタ(砂、砂浜)の訛音と考えてよさそうである。
北海道南部では「うた」「歌」の形に訛った地名で残っている。〔中略〕
そう思って、頃々川の西で海岸に降りて見た。宇田部落との間に立派な浜があったが、砂利浜だ。砂は混っている程度である。
おやと思った。併し考えて見ると、北海道のオタ或いは「歌」のつく地名は、現在必ずしも砂浜(オタ)でない。
屡々砂利浜の形に出逢っている。時代によって海流や風で、砂が寄ったり、砂利浜に変ったりしているようだ。
松浦武四郎は西の方から此の海岸を歩いて来たのだった。後で〔松浦日誌〕を読んだら、「歌村(註、今の宇田)。定めてヲタ村なるべし。
此処初めて砂を見る」と書いてある。その頃は砂浜だったのだろう。
(「津軽半島の記録」『うとう』第56号、1961年8月。のち『アイヌ語地名の研究山田秀三著作集第3巻』に収録) |
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