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〔山田秀三文庫の資料から〕
『アイヌ語会話字典』写本 (資料番号:YA3512、KA2467)
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写真①は、山田秀三(ひでぞう)文庫の図書資料中にある、神保小虎(じんぽことら)・
金澤庄三郎『アイヌ語会話字典』(1898=明治31年)の写本。全文を大学ノートに筆写し、製本したものである。
金田一京助の所蔵本を山田が借り受け、山田の妻・総子(ふさこ)が金田一による書込みともども筆写した。
これを見た知里真志保、久保寺逸彦も同じ写本をこしらえたという逸話が、山田秀三『アイヌ語地名を歩く』(北海道新聞社、1986年)に記されている。
写真②は①の本文の一部、「イ」から始まる日本語に対応したアイヌ語が書かれているページである。
写真③は、久保寺逸彦文庫の図書資料中にある、同じ写本をコピー製本したもの。②と同じページを開いて撮影した。
②と比べると、さらに久保寺による書込みが加わっている様子がうかがえる。
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三冊の写本
私が研究を始めたころは、アイヌ語関係の資料はまるで少なく、またあっても入手が困難だった。そんな時代の物語である。
金田一先生の研究に若干のお手伝いをしたときに、たいへん喜ばれて〔中略〕一冊の本を持ち出され、私がアイヌ語を勉強するため初めて沙流に行ったときに、
これだけを持って行ったのでした、上げましょうと言われる。
見ると明治31年(1891)に、金沢庄三郎博士が書かれたアイヌ語会話字典で、処々に先生が鉛筆で書き込みをしておられる。
もらっては済まない本だ。しばらく拝借させて下さいと持ち帰った。
複写機なんか無い時代だ。手書きで写すほかない。〔中略〕家内が、写すくらいの手伝いはしますよと言ってくれ、大学ノート二冊半ぐらいに書き上げた。
もちろん先生の書き込みもそのまま写してある。
製本屋に頼んで立派な本になったので、原本をお返しに行った〔中略〕先生は開いて、びっくりしたようなお顔で読んでおられる。
それは先生の書き込みですよと言ったら、ああそうでしたか、と笑われた。
知里さんに見せたら羨ましがり、貸してくれという。〔中略〕見違えそうな写本を作ってみせられた。
久保寺逸彦博士が、私だって持っていたいですよ、と持って行って、これまた全く同じ装幀の写本を作った。
こうして、金田一直門の三人が、体裁から何から区別のつかない写本を持っていたのだった。
(山田秀三『アイヌ語地名を歩く』 北海道新聞社、1986年、148~149ページ) |
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