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〔山田秀三文庫の資料から〕

斜里町の峰浜(みねはま)と朱円(しゅえん)

(資料番号:YF0037)

 オホーツク管内・斜里町の、ちょうど知床半島の付け根にあたるところに、峰浜の集落があり、そこにシマトッカリ川という川が流れています。

 『斜里町史』やアイヌ語地名研究者・山田秀三氏の研究によれば、この川の名は、スマ・トゥカリ・ペッ(suma・tukari・pet=石・~の手前・川)に由来するとされています。この地域の海岸が、斜里からずっと砂浜が続いていて、この川の河口を過ぎると'ごろた石'の浜になるので、こう呼ばれたのだということです。

 明治以後、この地域は朱円(シュマトカリ)村とされ、大正の年代になって「朱円」が「しゅえん」と呼ばれるようになったとされています。 1953(昭和28)年から、海岸付近の地域が峰浜と呼ばれるようになりました。現在は、少し内陸の、国道334号線に沿って「朱円東」「朱円」「朱円西」の集落があります。


 写真①は、1974(昭和49)年7月に山田秀三氏が知床の地名を調査した記録の一部で、シマトッカリ川(島戸狩川)の河口付近の海岸のようすを撮影した写真です。写真の上から1/3あたりのところが河口部で、その向こう(斜里側)が砂浜、手前(知床半島側)がごろごろした石の浜です。
 写真②は、それをやや詳しく調べているページで、上に斜里側の砂浜の写真を貼り、下に知床半島側の石の浜の写真を貼って、地形の特徴や気付いたことなどが書き込まれています。


 地名はその土地につけられた名である。そこに行かなければほんとうのことは分からない。それでよく旅行した。目的地に近い駅で下車するとまず第一の仕事は土地に詳しい年配のタクシー運転手を物色することであった。その車に乗って、目的地の地形や土地の古老の居所などを聞きながら行くと参考になることが少なくない。

 北見の峰浜は、前のころは朱円で、さらに前はそれで「しゅまとかり」と呼んでいた。アイヌ語のシュマ・トゥカリ(石の・手前)というアイヌ語地名から来た名前なのであった。地名で「手前」というのは、たいていの場合、長い砂浜をたどって行って、何かにぶつかる処に使われることは経験上知っているが、その「石」がどんなものだったかを見たいのだった。

 運転手君に話すと「じょうだんでしょう。斜里からこの辺はずっと砂浜ですよ」という。まあいいから、峰浜の川を渡ったら海岸に出てくれ。何か石があるはずだから、と答えた。

 浜に出たらすっかり分かった。峰浜の川(島戸狩川)までの海岸は長い砂浜なのに、川から東はがらっと変わってごろた石ばかりの海浜なのである。この地名のシュマというのは、このごろた石のことなのであった。運転手君あきれて、旦那前に来たのでしょうという。いやアイヌ語を少し知っているからだよと笑った。アイヌ語の地名に嘘はない。

(山田秀三「アイヌ語地名にも地方差」『北海道新聞社』1982年12月3日付 より)

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